先日、長くお付き合いのあるクライアントから、契約終了間際に一本のメールが届きました。
その内容は、過去に納品したデザインの「編集可能な元データ(ai/psdなど)をすべて一括提供してほしい」というものでした。
これまでのやり取りでは、編集データの提供について明確な取り決めはなく、納品もjpgやpdfといった完成データのみ。そのため、私は「編集データは別途有償対応になります」と丁寧にお伝えしました。
しかし、その返答は予想外の返信でした。
「著作権はこちらにあると思いますので、契約終了後はデータをすべて削除してください。念のため弁護士に確認します。」
まるで「元データは無償でもらえるのが当然」と言わんばかりの言いぶりに、
「え、それ本気で言ってるの?」と、正直驚きを隠せませんでした。
本記事では、実際に私が直面したこのトラブルをもとに、
- よくある著作権と編集データに関する誤解
- 法的な整理と考え方
- 自分の対応と反省点
- 今後トラブルを防ぐための対策
について、わかりやすく整理していきます。
よくある誤解:クライアントが抱きがちな5つの勘違い
“対価を払ったら自由に使える”は本当?
今回のようなやり取りがあったとき、私は「これは一度、著作権とデータ提供に関する“よくある勘違い”を整理した方がいい」と思いました。
実際、フリーランスの現場では、下記のような認識のズレがトラブルの引き金になることが少なくありません。
- 対価を払ったら著作権も当然クライアントにある
→ 実際は「制作した側」に自動的に著作権が発生します
※譲渡契約や使用許諾がない限り、クライアントに著作権は移りません。 - 編集データ(ai/psd)も納品物の一部
→ 編集データは「制作の途中工程・設計図」のようなもので、納品物とは区別されるのが一般的です - 「自社で使うだけだから問題ない」と思っている
→ 商用・社内利用を問わず、契約範囲外の使用はNGです
使用範囲を明文化していない場合でも、「再編集」「二次利用」「別メディア展開」などは契約外と見なされることがあります。 - データ削除や著作権放棄を求めることができると思っている
→ 著作権者は制作者。削除を求める権利は原則ありません
著作権法上、制作者が権利者である以上、データの削除指示や放棄の強制はできません。
※ただし機密保持契約などがある場合は別途対応が必要です。 - 弁護士に聞けば自分の主張が通る
→ 法的確認は自由ですが、正当性の証明とは限りません
弁護士が介入しても、契約書に書かれていない内容を覆すことは基本的に困難です。
特にWebやグラフィックの制作現場では、「目に見える成果物=すべて渡される前提」と思われがちです。
たとえば、建築で「完成した家」は納品物でも、「設計図」や「建材リスト」まで含まれるとは限らない──
それと同じように、デザインにおける編集データも成果物とは切り離して考える必要があります。
こうした誤解は“悪気なく”生まれることも多く、明確な線引きがないまま放置すると、双方にとって大きなすれ違いになります。
法的にどうなの?著作権とデータ提供の基礎知識
著作権は“原則として制作者に帰属する”
まず基本として押さえておきたいのが、著作権は「作品を創作した人(制作者)」に自動的に発生するという点です。
これは契約の有無に関わらず、法律でそう定められています。
つまり、デザイン制作を依頼されて報酬を受け取っていても、著作権自体は制作した私(制作者)にあるのが原則です。
🔍【参考】文化庁:著作権の発生要件
「著作物を創作した時点で自動的に発生し、取得のために手続きは不要」
著作権譲渡=別途契約が必要
著作権をクライアントに渡したい(譲渡したい)場合は、「書面での合意」が必要です。
口頭で「使っていいですよ」と言っただけでは、著作権そのものが移転することにはなりません。
そのため、今回のように契約時に著作権についての合意がなかった場合、
「報酬を払っているのだから著作権は自分のもの」という主張は、法的には通らない可能性が高いのです。
編集データの提供義務はある?
編集データ(ai/psdファイルなど)についても、著作物の一部ではありますが、“納品物”とは別扱いになります。
法的には、編集データを提供する義務は契約書や仕様書に明記されているかどうかで判断されます。
今回のように、
- 契約書に「編集データも納品する」といった文言がない
- 契約中に編集データ提供の合意が一度もなされていない
といった場合は、無償で提供する義務はありません。
データ削除の要請は通るのか?
「契約終了後、データを削除してください」という要望に関しても、
著作権が制作者にある限り、データの保管・管理は制作者の自由です。
ただし、機密保持や個別契約によって「契約終了後のデータ保持期間」などを定めている場合は別なので、契約書の記載内容によって異なることはあります。
- 著作権は制作した人に自動的に発生する
- 著作権の譲渡は、明確な書面での合意が必要
- 編集データの提供義務は、契約内容によって異なる
- データ削除の要請も、原則として義務ではない
このように、法律上は制作者側に権利があることが原則です。
どこからが“自分の著作物”か?具体的な判断例
今回のようなトラブルを経て、私自身あらためて「著作物ってどこからが“自分のもの”なのか?」を整理しました。
たとえば、こんなパターンの業務だったとします。
項目 | 内容 | 著作権・所有権の判断 |
---|---|---|
商品サンプルの提供 | クライアントから提供 | 所有権はクライアント(素材提供) |
撮影 | 自分が担当 | 著作権は撮影者(=自分)に発生 |
テキスト・構成・訴求コピー | 自分が作成 | 自分に著作権あり |
ロゴデータ | 支給なし→自分で再構成 | 編集権は自分。ただしブランド名扱いは慎重に |
レイアウト・デザイン・装飾 | 自分が全対応 | 著作物として自分に帰属 |
依頼された素材だけを元に、構成・撮影・デザインまで一貫して自分で仕上げた場合、著作権の大半は制作者にあります。
実際、ロゴも構成もテキストも一切支給されない状態で、商品サンプルだけが送られてくる。
こちらから要望を伺っても「センスに任せます」「時間がないのでお任せで」といったスタンスで、素材集めから構成・撮影・デザインまで、すべてこちらで組み立ててきた案件でした。
クライアントが持ってきた「商品サンプル」は、料理で言えば“持ち込みの食材”。
それを要望を汲み取った上で、どう調理して、どんな味付けで、どんなお皿に盛り付けて提供するかは、料理人(=制作者)の仕事です。
- 🧄 野菜(商品サンプル)=素材提供 → クライアントの所有物
- 🔪 調理方法・味付け(構成・レイアウト・コピー)=制作者の表現 → 著作物
- 🍽 盛り付け方(デザイン全体)=見せ方の創作 → 著作物
- 📸 出された料理を撮った写真(商品画像)=撮影者の著作物
デザインもまったく同じです。
「撮影・構成・レイアウト・キャッチコピー」など、仕上がりに関わる表現全体には、制作者である私の著作権が発生します。
にもかかわらず、「レシピも調理手順も全部出して。あと、その料理の著作権はこちらにあると思います」と言われたら……さすがにそれは違うよね、と思ってしまいます。
実録:信頼ベースの関係が、契約の曖昧さでこじれた顛末
契約時、私は「後々のトラブルを防ぐためにも、契約書(または簡易的な覚書)を交わしておきたい」と伝えました。
しかしクライアントからは、「信頼関係があるので大丈夫です。トラブルになるようなことは起きませんよ」と返され、結局、書面を交わさないまま業務が始まりました。
当初とは明らかに業務の内容が変化していたにもかかわらず、契約や料金体系を見直すことなく、そのまま対応を続けてしまいました。
そして突然、「外部業者に渡すので編集データください」「著作権は当社にあるので、データ削除もお願いします」と一方的な要望が届きました。
外部への引き継ぎを理由に、編集データを“当然のように”無償で求められたことには、さすがに困惑しました。
私は「編集データの提供は別途有償になります」と丁寧に説明しましたが、
返ってきたのは「著作権はこちらにあると認識しています」「弁護士に確認します」といった主張でした。
このトラブルを通じて、自分にも改善すべき点があったとあらためて気づかされました。
以下に、実際の出来事から学んだ“3つの反省点”をまとめます。
- 「編集データ=納品物ではない」を“共通ルール”として明文化していなかった
編集データは渡せないとメールで伝えていたものの、その背景や条件を明確に伝えておらず、都度の対応のように受け取られていたかもしれません。
「編集データは有償」「納品物には含まない」と、共通ルールとして最初に明文化しておくべきでした。 - 違和感に気づいていたのに、はっきり線を引き直さなかった
やりとりの中で、「これは危ういかも」と感じる瞬間は何度かありました。
でも、関係性にひびが入るのが怖くて、踏み込みきれなかった。
あいまいなまま流してしまったことが、後の衝突につながってしまいました。 - 業務の範囲が大きく変わっていたのに、契約を見直さなかった
最初は軽作業だったのが、撮影やデザイン構成まで丸ごと任されるように。
明らかに業務の性質が変わっていたにもかかわらず、契約内容も料金も見直さないまま対応してしまいました。
相手にとっても「最初の延長」で進んでいる感覚だったのかもしれません。
今回の件を通じて、「線を引くこと」は相手との距離を置くためではなく、
むしろ、長く良い関係を築くための“思いやり”なのだと改めて実感しました。
最終的には「弁護士に確認したところ納得せざるを得ませんでした」との返答があり、
話は一応収束に向かいました。
……ただ、それでもメールにはこんな一文が添えられていました。
「とはいえ、返還していただきたいという気持ちは強くあります。」
この一件から学んだのは、「信頼があるからこそ、線引きを最初にしておくこと」が何より重要だということ。
契約の明文化は、距離を置くためではなく、むしろ良好な関係を長く保つための思いやりであり、感情ではなく“共通認識”で仕事を進めるための土台だと痛感しました。
まとめ|今後の対策
今後は、以下の点を契約書や覚書、提案資料などで明確に伝えることを徹底したいと考えています。
以下のポイントを明文化・共有しておくことで、同様のトラブルを回避できます:
- 編集データは基本的に「納品対象外」であることを明示する
→ 渡す場合は「有償対応」である旨も明示する - 著作権の帰属は「契約書・発注書」に明記しておく
→ 書面で明記がない限り、著作権は制作者に帰属 - 業務内容が変更・拡大した場合は「再契約・再確認」も提案
→ 契約内容と実作業のズレが起きる前に見直しを - データ保管・削除・再利用などのルールも事前に共有
→ 「保管の可否」「削除義務の有無」も含め、方針を明確に
フリーランスとして柔軟に対応する姿勢は大切ですが、曖昧なままでは誤解やトラブルを招きます。
契約は防御のためだけでなく、お互いの信頼と安心のために欠かせないものです。
そんな反省も踏まえて、これからは契約や事前の説明を自衛のための盾ではなく、
お互いにとって安心して仕事を続けるための信頼のツールとして活用していきたいと考えています。
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